マンションにも潜む「ゴミ屋敷」問題
マンションにおいても昨今高齢化や単身化の進展に伴い、いわゆる「ゴミ屋敷」の問題がにわかにクローズアップされるようになっています。 私自身はまだ訴訟段階まで本格的に取り組んだことはなく、交渉段階で区分所有者が片付けに応じてくれたりしてなんとか問題の解決を見た例までしか経験はないのですが、事態が悪化して長期化すると、区分所有法で禁じられている「建物の管理又は使用に関し区分所有者の共同の利益に反する行為」(区分所有法6条1項)にあたるとして、妨害排除請求(区分所有法57条)、専有部分の使用禁止請求(区分所有法58条)、果ては区分所有権の競売請求(区分所有法59条)まで検討しなければならなくなる、管理組合にとっては非常に厄介な問題なのです。
画期的な書物の登場
なぜこのように自宅に「ゴミ」を溜め込んでしまう人たちが現れるのだろうと私も常日ごろ疑問に思っていて、そうなってゆく理屈を知りたいものだと考えていましたところ、ちょうど私のニーズにぴったりの本が発売されまして、早速読んでしまいました。 筆者は日本で初めて「セルフ・ネグレクト」(「高齢者が通常一人の人として、生活において当然行うべき行為を行わない、あるいは行う能力がないことから、自己の心身の健康や安全が脅かされる状態に陥ること」との定義があります)について全国調査を行った研究グループの一員で、この「セルフ・ネグレクト」という視点から「ゴミ屋敷に棲む人々」の実態に切り込んでいきます。
何が問題か
- ここで同書の内容にしたがって「ゴミ屋敷」の何が問題なのか、ここで改めて整理してみると、
- 悪臭・ネズミ・害虫の発生などによる周囲の衛生の悪化
- 失火・放火等の危険性の増大による治安の悪化
- 当該区分所有建物はもちろん、隣接区分所有建物の不動産評価額の下落
などに整理できるのではないかと思います。
セルフ・ネグレクトの判断基準とは
また、同書ではセルフ・ネグレクトの判断基準が挙げられています。 無論これにいくつ該当すればその人がゴミ屋敷を作る人と判断できるわけはありませんが、そういった可能性を持つ方かどうか、あるいは今後の解決手段を検討する際の参考事項にはなると思います。
- 身体が極端に不衛生である
- 失禁や排泄物の放置
- 住環境が極端に不衛生である
- 生活スケジュールなどの生活環境が通常と異なっている
- 自身の生命を脅かすほどのケア・治療(投薬など)の放置
- 必要な医療・介護サービスの拒否
- 不適当な金銭・財産管理が行われている
- (マンション内で)孤立している
セルフ・ネグレクトの原因とは
また、同書では「ゴミ屋敷」の原因となるセルフ・ネグレクトの原因についても分析が行われています。 以下その概要です。
- 孤立
- 生きる意味の喪失
- 認知・判断能力の低下
- 世間体、行政等への遠慮・気兼ね
- プライド
- 必要なサービスを受けるための手続の難しさ
- 高齢者虐待の存在
- 経済的困窮
- 介護者が高齢もしくは障害あり
- ひきこもりからの移行
- 個人情報保護法の存在による必要な個人情報へのアクセスの困難性
法律的なアプローチからの事前対処の可能性
ここでセルフ・ネグレクトの原因に対する法律的なアプローチの可能性について考えると、6については、複雑な介護保険の申請手続を定める介護保険法の改善や高齢者に対するその周知、8については生活保護法に基づく生活保護制度のさらなる改善・周知、11については個人情報保護法における情報開示禁止の除外事由の拡大などが検討されなければならないでしょう。
対ひきこもりアプローチの可能性
ここで、11のように近年若年期・壮年期のひきこもりからセルフ・ネグレクトに移行する人が増えつつあるという記載が目を引きます。
ひきこもり症例への対応については、精神科医の斎藤環さん(斎藤さんの著書には精神分析の観点から映画など様々な文化批評を繰り広げているものもあり、大変読みやすく面白いです)が一つ参考になると思われる指摘をしています。 それは、精神分析家メラニー・クライン(1882‐1960)が発見した「妄想-分裂ポジション」の理解が有効ではないかということです。 いわずと知れたクラインは大学も出ていないのにあのフロイトの一番弟子ともいうべき存在にまで登りつめ、「対象関係論」を世に打ち立てたものすごいおばさんなわけですが、「妄想-分裂ポジション」とは、かなりかいつまんで説明しますと、赤ちゃんにとっては同じ一人の母親が「良いママ」と「悪いママ」というまるっきり別々の人格に分裂して認識されているということです。 おっぱいをくれるママが「良いママ」、一方おっぱいをくれないママが「悪いママ」というわけです。 赤ちゃんはこのような二人のママが本当は一人の人格なのだということが理解できないので、「良いママ」にはニコニコとして尽きない笑顔を見せてくれますし、「悪いママ」には泣きわめいて激しい憎悪(当然未熟な感情ではありますが)を示すということになります。 ここで注目すべきことは、ひきこもり体質の人は、身体的に成長した後も精神的にはこの「妄想-分裂ポジション」を十分に抜け出せていない場合が少なくないので、その近親者や治療者はそれを前提として引きこもりの人に対応するのが有効なのではないかという指摘です。 すなわち、必ずしも単純化できるわけではないにしても、こちらが親密な態度で接すれば相手方も親密な態度で返してくるし、こちらが憎悪を以て相手方に接すれば向こうも容赦なく憎悪を打ち返してくるということになるから、これを踏まえて決して感情的にはならず粘り強く相手と接してゆこう、ということになるでしょうか。 当然といえば実に当然の内容ですが、引きこもりタイプの人は往々にして実はプライドが高い人が多いという指摘もありますので、引きこもりタイプの区分所有者・占有者や、内向きの傾向を示す一方でプライドは高い、という区分所有者・占有者と接するに際しての一つの有効なアプローチとして、参考になるのではないでしょうか。
以下は全くの余談ですが、ここまで「妄想-分裂ポジション」の話を聞いてみて、みなさん何か思い出す話はありませんでしょうか。 そう、東日本大震災発生直後にとあるCMで有名になった金子みすゞの「こだまでしょうか」の詩です。 『「遊ぼう」っていうと、「遊ぼう」っていう。』・・あの詩ですね。 全文は金子みすゞ記念館ウェブサイト http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/misuzu/column.htmlでご覧になれます。 金子みすゞはクラインと同じ時代を全くの異国で生きていたわけですが、「妄想-分裂ポジション」という堅苦しい用語に含まれる内容の深みを、無意識のうちにとらえていたといえるでしょうか。 改めて読み返す機会を得ましたが、やはり人の心をよく捉えた素晴らしい詩だと思います。
参考文献
- ルポ ゴミ屋敷に棲む人々 孤立死を呼ぶ「セルフ・ネグレクト」の実態 岸恵美子 著 幻冬舎新書
- ひきこもりはなぜ「治る」のか?精神分析的アプローチ 齋藤環 著 中央法規